今回は薄々そんな予感がしていた。しかも、そうならなきゃいいと思っていたし、雑誌とかの「マンネリ脱出講座」みたいな記事を真剣に読んでみたり、さらに本気で実践してみたりもした。
何故かと言えば付き合いが長かったからかもしれない。高校一年生の時から、社会人一年目の今年まで丸七年。そう、ちょうど今日が記念日だからちょうど七年だった。結婚だって真剣に考えていたし、そういう話しだってしていたし。
別れた理由はといえば、彼からはこれと理由を言われた訳じゃなくて別れようの一点張り。これといって思い当たる節はない。彼に他に女が居たとか、長距離恋愛になるのを嫌ってとか、そういうことはなかった。
強いて言えば価値観のズレとでも言うのだろうか。一年間浪人していた彼と、現役合格して就職してしまった私。さらに言えば、一流志向の彼と、事なかれ主義の私。そんな私たちではいろいろなモノが合わなかったのだろう。
仕切り直しをしようと今日という日に望んだ私に対して、彼は別れを切り出そうと私と会ったのだった。
実際に別れを迎えたという自覚がまだ無いからなのか、何の感慨も湧かない。
コートを脱いで、ハンガーに掛ける。食事は済ませているので後は寝るだけなのに、全く眠くなかった。
かといって何かしたい訳でもなくて、手近にあったノートパソコンの電源を入れてみる。画面が立ち上がり、マウスを手に取る。
とりあえずインターネットで、いつも回っているブログが更新されていないか確かめるために、ブラウザを立ち上げる。ブックマークの中からいくつかブログを見て回る。
だけど、更新されていないものばかり。なんでこういう日に限って……。最後に見たブログを閉じようと思ったとき、ふと、カレンダーなんかがある柱のところに検索窓があるのに目がついた。たまには他のブログも見てみようと思ってそこにカーソルを合わせる。……だけどなんて検索しよう。
しばらく悩んでみて、「失恋」と検索してみる。画面一面に失恋に関係した記事がリストアップされた。
目に付いた記事をクリックすると、ちょうど失恋から一夜明けたばかりの、しかも私と同じ年代の子のブログのようだった。
『昨日は悲しいとか、そういうことは思わなかったけど、今日になってみてやっと涙が出てきました』
そんな一文があって、それが妙に引っかかった。何度もその一文を読み返してしまう。まだ、気付いていない……だけ? 私は悲しいの?
画面を戻って他のブログも見ようかと思ったのだけど、その言葉が頭から離れてくれなくて出来なかった。
仕方なく、少し気分を変えるために階段を下りてリビングに向かう。まだ実家暮らしだけど、この時間はみんな寝ているから何処も真っ暗だった。
悲しいの……かなぁ。
また、そんなことを思いながら、冷蔵庫の中からお茶を取りだす。
コップに注ぎ、一気に飲み干して後悔した。胃の辺りから冷たいのが広がっていく。
部屋に戻って暖まろう……。電気を消してリビングを出て階段を上る。次の踊り場まで上ろうと足を踏み出したとき、足をひねった。
かなり変なひねり方をしたみたいで、へたっとその場に座り込んでしまう。
幸い、足をひねったのが踊り場だったから、階段から転げ落ちることも、さらにケガが酷くなることもなかった。
それにしても今日はてんでツイていない。彼氏にはふられるし、足はひねるし。朝見たニュースの占いではそれなりにいいようなことを言っていたのにな……。
お尻と、踊り場についている手からじんわりと冷たさが広がっていく。中からも外からも冷えて本当に最悪だ。
寒いというより、冷たくて嫌になる。足は痛むけれど、声を上げて助けを呼ぶのは恥ずかしすぎる。
「独り……だなぁ」
思いがけず声が出てしまう。そんな大きな声じゃなかったのに、階段の高い天井に反響して、ますます自分が独りなのだと自覚する。彼も居なくなって家族に甘えるには見栄を張る歳になって。――誰に泣きつけばいいんだろう。
友達関係も広く浅くで、私には親友と呼べる仲の子はいない。本当に独りきりだ。
手に何かが落ちる感触がした。――気付けば涙がこぼれていた。
一度気付いてしまうと涙は止まらない。けれど、声を上げてここで泣くわけにもいかなかった。「止まれ、止まれ」と心に言い聞かせる。だけど、やっぱり意識して止められるものじゃなかった。
声を上げないように、ただそれだけを考えて泣いてた。
涙はこぼれているけれど、やっぱり悲しくて泣いている訳ではなかった。ただ、独りきりになったということがどうしようもなく怖くて泣いているのだった。
泣きながら疑心暗鬼に囚われる。私はもう随分前から彼のことが好きじゃなかったんだ。ただ独りが怖かっただけなんだと、そんな気さえしてきた。
そう思うと、今度は悲しくなってくる。自分がどうしようもなく惨めで、何のために彼と一緒に居たのか、全く分からなくない。
ただ独りが怖かったから傍にいた、そんな弱い自分が居たかもしれないということが受け入れられなくて、涙が止まらなくなる。
なんだか人生をムダに生きてきた、そんな考えも頭を巡る。
「こんなところでどうした?」
急に声をかけられて、ビクッとなる。見れば父親がそこにいた。
「眠れないから、ちょっと酒でも飲もうかと思ってな。お前足でもくじいたのか」
いつもと変わらないのんびりとした声。「ちょっと待ってろよな」と言うと私をまたいでリビングの方へと向かう。
突然のことに驚いて涙も止まってただただ、泣いていたところを見られたという恥ずかしさだけがこみ上げてきた。
しばらく待っていても父親はこない。
こっちが何かあったのかと心配になってきた頃、ようやく父親が戻ってきた。
「これシップな。あとホットミルク作ってやったぞ」
それで遅かったのか……。父親にお礼を言って口を付ける。ちょうどいい温かさ。父親は私の下の段に腰掛けてグラスを傾けていた。
「お前も飲むか?」
「いいよ。ウイスキーなんて飲めないもん」
そう言うと、父親は声を出して笑った。失礼な人だ。
「まだまだお前も子どもだな。シップも俺が貼ってやろうか?」
「そこまで子どもじゃないから遠慮します」
マグカップを置くと、足首にシップを張る。メントールの懐かしいにおいがした。
それを横目で見ながら父親は、思い立ったように自分のグラスの中身を少し私のマグカップに注いでいた。
「ちょっとなにしてるの」
「いいから飲んでみな。それとも俺が口付けたものが入ってるのは嫌だとか?」
とことん人を小馬鹿にしている人だ。そのまま言わせておくのも癪で、一口飲んでみる。
「あ……。おいしい」
ほんのりとウイスキーの香りがして、心なしかミルクも甘くなった気がする。ウイスキーは辛いのに。
「本当はラムとかブランデーを入れるんだけどな。これが旨いならお前も少しは大人になってるな」
そう言って大人である父親はグラスを傾ける。私のマグカップからするよりもツンと鼻に来るアルコールのにおい。酒が入ると父親は饒舌になる。
「まぁ、お前なんてまだその踊り場ぐらいだよ」
「え、何の話?」
「人生に決まってるだろ。俺はちょうど真ん中ぐらいかな」
まだ、この踊り場なのか、私の人生は。
「階段を上りきったら死ぬわけだけどな、お前みたいに踊り場で立ち止まるのも大切だぞ」
私の置かれた状況を把握されているみたいで居心地が悪かった。ほっといたらいつまでも説教が続きそうだったから部屋に戻ることにする。
「お父さん、ちょっと肩貸して? もう寝るよ」
「そうそう。時にはいつも借りてる奴以外から肩を借りるのも大切だよな」
「そうじゃなくて部屋に戻るんだってば」
父親はめっぽう酒に弱くて、少し飲んだだけでこうなる。仕方ないから自分で部屋に戻ることにする。
「お父さんも早く寝なよ?」
「これを飲み終わったらな。マグカップはそこ置いとけ。俺が下げといてやる」
ウイスキー入りホットミルクを飲み干すと、踊り場にそっとマグカップを置く。
「おやすみ」
「おう、おやすみ」
片足と手すりを使って階段を上る。父親はああ見えて、飲み終わればいつも勝手に自分の寝室に戻って寝るから大丈夫だろう。
ベッドにはいると、父親の言っていたことが何となく分かった気がした。
まだ、踊り場に差しかかったばかりの人生なんだから、これからがんばろう。そんなことを思いながら瞳を閉じる。
この踊り場までこられたのは、彼のお陰も大きい。いい恋だったかと聞かれれば自信はゼロだけど成長は出来た気がする。
一夜明けたら、あのブログの子のように、やっぱり悲しみに襲われてまた涙を流すかもしれない。けどそれでいい。
それを糧にしてもっと階段を上っていこう。急ぐことはない。時々はこうして立ち止まって。だけど、ゆっくりとでも確実に。
終
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