Special Links(Novels)
「早く来過ぎちゃった。」
時計を見ると、まだ彼の列車の時間まで、二時間以上もあった。今日は彼が旅立つ日、別れの日。別々の大学に受かった私たちは、今日この駅で別れを迎える。彼はもちろんまだ来ていないだろうな、と思っていたけど、きょろきょろ辺りを見回してみたら彼の姿はあった。スーツケースに座って本を読んでいた。近づいて声をかける。
「おはよ。」
「早いぞお前。」
「そうかなぁ。佳君だって人のこと言えないよ。」
「まぁ、そうだな。」
「うーん。何して待ってようか。近くのお店にでも入る。」
「いや、ホームの待合室でコーヒーでも飲みながら待ってようぜ。」
彼の答えは即座に返ってきた。声からも、心境が分かる。彼は今日を待ち望んでいた。私は今日が来るのが嫌だった。でも、私は別れてしまう前に少しでも彼を感じていたくて、こんなに早く来てしまったのだった。
「ほら。風も寒いし早く行こうぜ。」
彼は、私の手も取らず、歩き出す。私は、しょんぼりと後ろについて行くことしかできなかった。彼には、未来しか見えていないのかな。私は今、過去しか見えていないのに。彼の背中が遠くなる。そんな私に気付いたのか、彼は私を呼ぶ。
「何してんだよ。はやくいこうぜ。」
心がちくりとした。
券売機で、彼は東京の方へ行く切符を買う。私は昨日まで、同じ切符を買うつもりでいたけれど入場券を買った。昨日電話で話したときに、彼が「駅まででいいよ」としつこいぐらいに電話で言ってきたのだった。本当は空港まで行きたかったのに。
改札を通って階段を上る。彼は、荷物がとても重いみたいで、息を切らしていたけれど、なんだか声をかける気もしなかった。どうしちゃったんだろう、私。いつもはしゃべりすぎるぐらいよくしゃべるのに。
気付いたら、ホームの待合室に着いてしまっていた。彼の飛行機が割と早い時間だった上に、予定より2時間も早いのもあるのだろうけど、待合室には数人しか人が居なくて不思議だった。待合室の中にある、カップの自動販売機に一緒に行った。
「何飲む。」
「私はあったかいココア。」
「ん。」
席についても、なんだか会話も弾まない。しばらく会えないんだから、いっぱい話さなきゃって思ってきたのに。
「俺さ、向こうに行ってもがんばるよ。」
「うん。」
「それでさ、――。」
会話が耳に入ってきても、内容が頭に入ってこなくて、適当に相づちを打っていた。待合室で待つ、他の人たちはみんな一人で来たみたいで、彼の生き生きとした声と、私の生返事だけが響いていた。
彼も、やっと私の異変に気付いたのか、だんだん口数が減っていく。ふと時計に目をやったら、もう駅に着いてから30分も経っていて、無性に悲しくなった。すると、電車のアナウンスが聞こえた。電車が来るらしい。ぞろぞろと人が待合室から出て行く。
「ほら、電車来たよ。準備しよ。」
気付いたら口に出ていて酷く動揺した。それも、自分で聞いていてぞっとするような低い、冷たい声だった。
「えっ。」
彼の驚いたような、素のままの呆けた声を聞くと、ますます加虐的な言葉が口から滑る。
「乗るんでしょ。早く行こうよ。」
「乗るってまだ、一時間半あるぜ。」
「なんだ……。乗らないんだ。」
「乗らないんだって乗って欲しいわけ。」
彼の声はだんだん憤怒が混じってくる。どうしてだか、楽しくてしょうがなかった。
「さぁ。あんまりにも早く乗りたいみたいだったから勧めただけ。」
「分かった。じゃあ行くわ。」
彼が立ち上がって、スーツケースを手に取った。一瞬私の顔を見ると、さっと身を翻して、ホームへ向かった。――私はついて行かなかった。もしかしたら。私は笑っていたかもしれない。一人待合室に残された。私は酷く空虚だった。列車の発車のメロディーが流れて、アナウンスが響く。扉が閉まる音がして、ちょっと間をおいて電車の出発する音。なぜか私の中には音しか入ってこなかった。
電車が去る音も聞こえなくなった頃、やっと気付いた。私は泣いていた。それに気付いたとき、私の心に猛烈な焦燥感が生まれた。どうしよう――。どうしようで心が埋め尽くされた。私は、錯乱していた。あたりを見回した。彼の姿を求めて。でも、見つけられなかった。もう一度見回した。彼の姿は見えなかった。立ち上がって、ふらふらと電車が去った方へ歩いていく。ホームの端まで着いた。彼の姿は見えなかった。反対側の端へふらふらと歩き出す。待合室の中にもやっぱり居ない。降りてきた階段を過ぎた。何故か彼は居た。
寒いホームに忘れられた様におかれたベンチに座っていた。ふらふらと彼の元に行く。彼はうなだれていた。
「ごめんなさい。」
声が自然と出る。今度は、冷たくなかった。ちゃんと自然な声。彼は私の姿を見て何故か驚いた様に声をかける。
「お前……どうしたんだ。」
素っ頓狂な声だった。
「えっ。」
「そのスカート。」
見れば、ココアで濡れて見事にシミができていた。それを見た私はどうしようも無い羞恥心におそわれ、今までのぐしゃぐしゃとした感情も全部吹き飛んでしまった。
「えっ。これは、えーと、その。」
たぶん、彼を捜しに立ち上がった時にこぼしたのだろう。あのときは本当に錯乱して幽霊の様だったから。冷静になればなるほど恥ずかしい。
「ばか。」
「ごめんな。」
恭しく彼は頭を垂れた。
それから、何故か寒空の下、ホームのベンチで話をした。私が、悲しかったこと。つい怒ってしまったこと。いろいろ話した。独りよがりになっちゃったけれど話した。その間にも何本かの電車がやってきては、人を抱えて発車した。そんなのお構いなしに、たくさん話した。今まで、何となく言えなかった事や、思い出や、とにかくいろいろ話した。いつも以上に饒舌に。やっと一息ついたのは、もう彼の乗る電車が来るちょっと前のことだった。
「寒いね。」
「うん。寒い。だけど、お前はあんだけしゃべったんだから少しは違うだろ。」
「そ、そんなことないもん。」
こんなくだらない事話せるのも後何分か、か。そう思うと急に切なくなってきた。
「時間を無駄に過ごしちゃって悲し。」
「無駄って、さっきのはたぶん一生忘れないから大丈夫じゃん。」
「そういう意味じゃなくて。」
「えっ。」
「なんかさ。あなたと出会ってから、今まで時間を大切にしようなんて思わなかったよ。今の今になってすごい大事にしようとしてる。」
「そうか。俺はどうだろう。俺は俺らしく過ごせたから満足かな。また会えないわけでもないし。」
「それは、そうだけど。」
「それに、普通に会えなくなるって、いい経験になるんじゃん。たぶん。」
「そうなのかなぁ。」
「そうだと思わないと、やってられないじゃん。」
「えっ……。」
その時だった。彼の乗る電車のアナウンスが流れたのは。彼は笑いながら立ち上がって、――なにか寂しそうな笑顔だったのを今でも覚えているけれど。荷物を引く。
「時間だ。」
「う、うん。」
私も立ち上がった。シミになったスカートが、すごく気になってしまってしょうがなかったけれど、それでも彼の後ろについて行った。列車がやってくる。話さなきゃと思うんだけれど、迫り来る列車の音が私を焦らせて、なかなか言葉が出てこない。気の利いた言葉の一つぐらいかけたかったのに。
「空港に着いたら電話するよ。」
「う、うん。待ってるね。」
列車がホームに入ってきた。
「気をつけてね。」
「おう。お前こそな。」
「うん。」
列車がゆっくりになって、そして止まる。
「えと、いってらっしゃい。」
「いってきます。」
列車のドアが開く。
「メールちょうだいね。」
「うん。じゃ、行くわ。」
「じゃあね。」
「うん。」
列車のドアが閉まる。アナウンスが流れる。月並みだけれど、手を振った。ちゃんと振り返してくれた。
列車が出発する。彼が座席に着かずに窓越しにこちらを見ていてくれた。ゆっくりと彼が離れていく。恥ずかしいから走って追いかけたりはしなかった。電車が見えなくなっていくのは、本当にすぐのことだったけれど、じっと見て、目に焼き付けた。
佳君に幸あれ。そんなことを思ってメールした。彼はさっき、どんなことを言いかけたんだろう、思ったんだろう。これからどうしようか、ああ、とりあえずこのスカートをどうしようかなんていろいろ考えると、いつもなら心が沈みそうだったけれど、でも不思議と心は晴れやかだった。
終
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
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