―Snownotes,ミルクパン

 

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 彼が居なくなって何回目かの夜。たったひとり家から人がいなくなっただけでどうしてこんなに広く感じるんだろう。
  昨日と同じようにひとりベッドに入る。彼のぬくもりを探して、結局見つからない。そして昨日と同じようにひとり涙する。
「――こうちゃん……」
不意に呼んでしまった彼の名前。言葉に出してしまったら戻れなかった。
  寂しさも、愛しさも、悔しさも、全部、全部いっぺんにあふれくる。自分の言葉でも一度口を突いてしまったら取り消すことはできない。頭の中で彼の面影が、思い出が木霊して涙があふれ止まらない。


  ――彼と別れて初めての涙だった。声を殺して枕に顔を埋めて涙を流す。

 恋の終わりはいつでも突然で。気付いた頃には足をすくわれていて。ひとり涙している。それでも誰かにすがって恋をして、また別れを繰り返す。それはまるで波打ち際に砂の城を作る子どものようだった。作っては壊され、作っては壊されを繰り返して泣きじゃくる子どものようだった。
  涙の中からその答えにたどり着くと、急にバカらしくなって涙が止まってしまった。涙と一緒に私の心も流れてしまったのかな。

  くすくすくす。どこかから笑い声が聞こえてくる。――笑っているのは私だった。
  気付くとくすくすという笑いはけたけたという不気味な音に姿を変え、部屋中に響き渡る。何もおかしくないのに。悲しかったはずなのに。
  ――けたけたけた。聞いている内に自分の声なのに気持ち悪くなってきた。トイレに駆け込んでさっき食べた晩ご飯を全部戻す。

  ようやく落ち着いて、笑いが止まったら本当に空っぽになった自分が居た。ぼんやりと眺めるワンルームは昨日までと一緒――のはずだった。なぜかキッチンにかけてあるひとつの小さな鍋が目を引く。「ミルクパンっていうんだよ」と、得意げに言う彼の声が蘇る。

 つきあい始めた頃、そうあれは冬の寒い日。突然やってきた彼の手ぶらさがっていた紙袋の中身がその本当に小さいその鍋だった。「何に使うの? こんな小さいの」という私に対する答えがそのセリフだった。
  彼が珍しくキッチンに立っている姿をテレビを見るふりをしながら見ていた。でも、紙袋の中身はあとは牛乳だけみたいだった。
  ただ、牛乳をその鍋――ミルクパンというらしい。にそそいで、コンロに火をつけただけ。ちょっとしたらマグカップをふたつ取り出して、温まった牛乳を注ぐだけ。
「ただのホットミルクじゃないの」という私に彼は「飲んでみたら解るって」と言ってマグカップを差しだされる。口を付けたホットミルクは確かにいつも自分が電子レンジで作るようなモノじゃなくて、ほんのりと甘くて優しい味だった。

 その優しさにもう一度触れたくて、いままで面倒くささに負けて使うことがなかったミルクパンを手に取った。

  少し離れて盗み見た彼の真似をするようにあまりものだけど牛乳を温める。よく見ると中身を注ぎやすいように注ぎ口のついている小さな鍋。たぶん彼はどこかで聞きかじって気まぐれで買ってきたのだろうけど。「沸騰する前に注ぐのが大切なんだ」あのときそう言った彼をまた思い出して火を止める。
  マグカップに注いだホットミルクには、あのときと同じ優しさがそこにあった。ふわっと体を包むその優しさに、この前言えなかった「ありがとう」が口を突きまた涙がこぼれてきた。
  でも、明日を向くための。彼にもらった大切なモノを忘れてしまわないで、私が成長するための涙。
  人は結局同じ場所には居られなくて。笑って、怒って、そして泣いて。それでも進んでいく。明日になれば今日の私は居ない。今日までの自分をを背負い、成長した自分が明日に居るんだと小さなミルクパンから作った一杯のホットミルクが教えてくれた。

 

 

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